「不信感」という底なし沼
イスラエル・アメリカ対イランの戦争は続く。2026年2月28日、オマーンの仲介による核交渉が妥結寸前で空爆によって灰燼に帰したことは、中東外交における「信用の死」を決定づけた。イランからすれば、2025年6月に続く二度目のだまし討ちである。
市場関係者は、こうした地政学的裏切りを「一時的なノイズ」と片付けがちだ。外交的信用(Diplomatic Capital)もまた、通貨と同様に「裏付け」がなければ暴落する。トランプ政権がぶち上げた「パキスタン仲介案」は、果たして崩壊した信用を補填するに足るソリューションなのだろうか。
パキスタンという「最後の手札」の脆弱性
ワシントンがパキスタンを頼る背景には、単なる隣国という以外の多くの理にかなった要素がある。
第一に、1947年の建国時に世界で最初にパキスタンを承認したのがイランだったという「歴史的つながり」。第二に、国歌の歌詞すら共有する「文化的同質性」。第三に、世界第二位のシーア派人口を抱えるパキスタン国内の宗派間バランスに好都合なことだ。
しかし、筆者が最も注視するのは第四・第五の柱、すなわち「核保有大国としての軍事的重み」、そしてその背後に透ける「中国の巨大な影」だ。
BIS(国際決済銀行)のデータが示す通り、非G7通貨の取引シェアが上昇する中、パキスタンは「CPEC(中東・パキスタン経済回廊)」を通じて中国のエネルギー安全保障の要の一つとなっている。北京にとって、パキスタンの安定はマラッカ海峡を通らない石油輸送ルートという意味での生命線であり、アメリカがパキスタンを動かそうとする時、それは必然的に中国のチェス盤の上で踊ることを意味する。
「対価」を払えないアメリカ帝国の黄昏
問題は、このアイディアの実現性だ。交渉には必ず「対価」が伴う。しかし、現在のトランプ政権に、イランやパキスタンを納得させるだけの「支払い能力」があるだろうか。
IMFのデータによれば、パキスタンの対外債務残高は1,200億ドルを超え、デフォルトの瀬戸際にある。彼らが仲介を引き受ける条件は、IMF融資への強力な後押しと軍事支援の再開だろう。一方、二度の裏切りを経験したイランが求めるのは、経済制裁解除による石油輸出の完全自由化と、イスラエルの攻撃を必ず制止するという「安全保証」だ。
アメリカはIMFに対して信用保証くらいの口利きはできようが、パキスタンに対してバラまける「外交キャッシュ」はないだろう。しかもアメリカと中国の二股をかけることが上手なパキスタンを支援し過ぎれば、中国と言う敵に塩を送ることにつながりかねない。
アメリカにとって更に困難なことは、イランとなんらかの合意点に達することだ。経済制裁のそもそもの目的は、核開発とミサイル開発の阻止だ。しかし、今回の戦争でイランはこの二つを決して手放さないことを決意したことだろう。また、すっかりイスラエルの言いなりの存在に落ちぶれた今のアメリカが、どうしてイスラエルを制止できるのか、説得力ある説明材料は乏しい。アメリカは自らの行動によって、外交的出口を塞いだのだ。
結局のところ、パキスタン仲介説は「アイディアは良いが、実現性に欠ける」空虚なプロパガンダに終わる可能性が高い。アメリカはもはや、お金もなく、即興的ディールの連続で外交的信用が剥落、そして自分で引き起こした問題の後始末を持て余した末に、それを他国に押し付けようとすらしている状態だ。
上手をとったイラン:ホルムズ海峡と金融市場を人質に
イランは巧みだ。3月25日のFTオンライン版によれば、イランは「non-hostile vessel (悪意をもたない船舶)」のホルムズ海峡通過に協力するという書簡を国際海事機関 (IMO) へ送った。筆者なりに解釈すれば、中国やインドなどの友好国の船は通すが、アメリカをはじめとする経済制裁参加中の西側諸国の船舶は通さないと読める。今後の実質の通過数はあまり問題ではない。こうした発信で、世界の国々のうちに不必要に敵を増やさない意図が明確であり、とても賢明な政策だ。
そして、より重大な影響だ。原油価格高騰は金融市場を揺るがした。10年もの米国債金利は、2月末では3%をわずかに下回るレベルだった。それが、今日までに40 bp上昇した。大量の国債借換えを行うアメリカにとって、金利上昇は急所そものもだ。トランプ政権のこれまでの経済政策の最重要KPIと言っても良いだろう。
もし、ホルムズ海峡の封鎖が西側諸国にとって長期化すれば、原油価格高騰ないし原油供給不安、そして金利上昇の影がつきまとうことになる。一つ間違えれば、世界の金融システムへの大地震につながりかねないと筆者は見ている。パキスタンという「消防士」を呼ぶ前に、アメリカ自身の財務のバランスシート、そして外交のバランスシートが大炎上しているという事実に目を向けるべきではなかろうか。
