英国海軍の「連続航行抑止」に学ぶ

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 9月末のこと、次のような報道を偶然に目にした。「核ミサイル撃てる潜水艦」酷使でヘロヘロ状態!? 批判殺到も休ませられない理由とは」 英国海軍のヴァンガード級潜水艦が半年以上の任務を終え、藻とフジツボだらけになってやっと母港に帰還したというニュースだ。英国は、ヴァンガード級潜水艦4隻を運用し、「連続航行抑止」(Continuous at Sea Deterrent, CASD)戦略をとっていることに筆者はかねてから注目していた。哨戒とは言え、核武装した潜水艦に長期間連続で乗務するという緊張感高い任務の過酷さを垣間見たような気がした。

 英国はこの「連続航行抑止」戦略を1969年からずっと50年以上実行していると言う。この「連続」の意味は、必ず最低1隻は哨戒任務に常に就いている状態を維持されることだ。詳細は明らかにされないが、潜水艦4隻を交代で任務、スタンバイ、訓練・保守にあたらせていると考えられている。

 かつては航空機や水上艦も核抑止戦略の要素であったが、冷戦が終わり、英国は、1998年以降この潜水艦による核抑止だけに絞っている。核武装と言えば、「核のトライアド」と言われる、陸上配備の大陸間弾道ミサイル (ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル (SLBM)、および戦略爆撃機を揃え、仮想敵国による先制攻撃のスキを与えないとする論理がよく知られている。英国は、海で国土を囲まれた島国・海洋国家でNATOという枠組みに参加しながら、とても合理的な政策選択として潜水艦1つに絞った核抑止力を保持している。正式な核保有国の中で、「1つ」の手段に限定した体制にしている国は英国だけとしている。

 このヴァンガード級潜水艦はどのような性能を持っているのだろうか?全長約150メートル、乗組員132人と大型。設計と建造は英国BAEシステムズ社。推進力は原子力なので、航続距離の制約要素として燃料のことは実用上考えなくて良い。Trident2 (D5)と呼ばれるSLBM ミサイルを16基搭載可能。このミサイルは米国ロッキード・マーチン社製。英国では、このミサイルに独自設計した弾頭を12個搭載していると言われている。この弾頭はいわゆる個別誘導複数目標再突入体 (MIRV) であり、大気圏再突入時に各弾頭が分かれ、それぞれが独自の攻撃目標を目指すことができる仕組みになっている。そうすると、16基 x 12弾頭 = 196弾頭を1隻で搭載できる計算になる。このTrident2の最大航続距離は12,000 km、最大負荷時で7,800 kmとされている。こうして見ると、水深300mくらいまでを行動範囲とし、察知されにくいかたちで海中に潜み、必要に応じて地球上どこでも攻撃できる恐ろしい兵器であることがわかる。

(出典 Claire Mills “Nuclear weapons at a glance: United Kingdom” House of Commons Library)

 このクラスの原子力潜水艦はいくらするのだろうか?英国は、2030年代に次期潜水艦ドレッドノート級の設計・建造に着手している。ドレッドノートは20世紀初頭に画期的な攻撃力を有した戦艦の名前でもある。英国議会の資料によれば、予備費を含めドレッドノート級取得関連で総額410億ポンドを見込んでいる。今の為替レートで約7兆4,000億円となる。仮に耐用年数を30年とすれば、潜水艦4隻で年間約2,500億円程度の費用となりそうである。実際の費用は、この潜水艦ハードウエア取得費用以外にも、港湾設備などのインフラ費用や保守費用もあるだろう。年間で言えば総額3,000億円強の費用になるのであろうか。英国は、冷戦後の平時において20年以上にわたり、このレベルの支出を「連続航行抑止」に対して行っている。英国の軍事費はGDP比2%強で、費用の絶対値で日本の約1.5倍程度だ。国家予算の規模、単純なお財布の大きさという観点では、日本でも採用可能な政策だ。

 日本の現在の潜水艦装備はどうなっているか?自衛隊のHPによれば、そうりゅう型、おやしお型、たいげい型合わせ22隻が就役中だ。いずれの型も魚雷発射装置を備え、対艦ミサイルを搭載する能力もあるようだ。日本の場合は、北は宗谷海峡から南は沖縄方面まで広い守備範囲を持つ。いわゆるシーレーンを守る上で22隻体制は必要なのだろう。しかし、英国のヴァンガード級のような戦略的能力は持ち合わせていない。軍事装備の構成が異なるので、「点」で議論するわけにはいかないが、同じ島国・海洋国家であり、類似点が多い地政学的環境下にある国家として、日本も費用対効果が高い抑止力の選択肢として中長距離弾道ミサイルを備える潜水艦取得を検討する価値が高い。

 筆者が日本の合理的な政策として核武装がありうることを認識したきっかけは、フランスのエマニュエル・トッド氏の記事を読んだ時だ。

つまり核を持つことは、国家として〝自律すること〟です。核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という〝偶然に身を任せること〟です。アメリカの行動が〝危うさ〟を抱えている以上、日本が核を持つことで、アメリカに対して自律することは、世界にとっても望ましいはずです。

エマニュエル・トッド 「第三次世界大戦はもう始まっている」

 おおもとは、文藝春秋に掲載されたインタビュー記事のようだが、ストレートで、客観的な発言と感じる。日本人は、「唯一の被爆国として、世界の先頭に立って核兵器を廃絶しなければならない」と国内では長年にわたり擦り込まれてきている。その一方で、アメリカの「核の傘」をあてにしており、核兵器禁止条約 (TPNW) を締結していないどころか、関連の会議に参加すらしていない。この理想と現実の矛盾に向き合うべき時ではないか。

 筆者は、日本は絶対に戦争をすべきではないと考えている。自ら他国を侵略するなどもってのほかであるし、他国が日本を攻めようとした時、戦火を交わす前の段階で確実に防ぐことが必要だ。理由は簡単だ。日本は、戦争は不得意で強くない。小さな個々の「戦い」には過去に勝利したかもしれない。しかし、勝てる戦略を事前に周到に用意した戦争などそもそもしたことさえない。第二次大戦での敗戦理由を振り返る先人たちの様々な分析をみれば、このことは明らかだ。

 ではなぜ、今、英国を参考にSLBM潜水艦を持つべきと考えるのか?世界情勢が明らかに変質しつつあるからだ。平和から緊張・対立へ、理想から現実へ、戦後に暗黙のうちに大前提としてきた環境が変わってきた。これから数十年の時代は、残念ながらこれが続くと考えられる。核抑止バランスと言えば、かつては米国・NATO vs. ロシアの話だった。しかし、これからは東アジアにおいて真剣に検討し準備せざるを得ない。現在の核兵器保有国の核弾頭保有状況は次の図の通りだ。

(出典 Federation of American Scientists https://fas.org/issues/nuclear-weapons/status-world-nuclear-forces/  )

 この分析では中国が410で増加の矢印が付けられている。米国国防省の見立てでは、2035年までに1,500に達するとしている。中国がそうしたいであろう動機はいくらでも思いつくし、それを実行する技術と資源を持ちあわせている。そして北朝鮮もである。30という数字の内容は定かではないが、この程度の能力があると少なくとも仮定するのが合理的だ。

 東アジアにおいて、これらの構えにマッチする対抗力は、いまのところ米国のみだ。米国本土は、太平洋の対岸遠くに位置している。同盟関係による通常兵器レベルでの「抑止力」や「核の傘」の有効性は、実際の有事が起こらなければわからない。その時の米大統領や議会がどう動くのか、いくら条約を結ぼうが、その時にならなければ誰もわからないのである。このようなことに対してどうすべきかは、欧州を見ればすぐにわかる。NATOという固い軍事同盟を周辺国と結成し、米国だけでなく、英仏自らもそれぞれの核抑止力を保有しているのだ。

 このようなパワーバランスが重要で敏感な問題となっている現状は悲しいことだ、そうなるべきとも考えていない。一方で、ウクライナの状況を見れば、様々な誤算や失策で何十万人単位で死傷者が発生し、病院や学校にいつミサイルが飛来するかわからないような状況が続いている。ロシアは狡猾に核の威嚇を利用し、西側のウクライナへの軍事支援のスピードを遅らせることにより、優位な立場を取り戻しつつあるように見える。

 ウクライナも日本も大国にはさまれた緩衝国家だ。大きな米軍基地を持つ日本は、それ自体で抑止力があると考えることも確かにできるが、それがために攻撃目標にもなりうる。米国からみれば、日本に駐留する自国軍が攻撃されたとしても、米国本土の民間人が攻撃されたわけではない。その場合、どれくらいの規模や速さで対処できるか。対応を考えている間に、日本にある基地周辺地域は大きな戦災に見舞われるかもしれない。ましてや、日本自体が反撃能力を行使するなら、すぐさま日本を攻撃する口実になるだろう。

 オーストラリアは、AUKUSの枠組みで米英から攻撃型原子力潜水艦の技術供与を受ける動きにある。Financial Times紙によれば、現役の米潜水艦の譲渡と乗組員の訓練から始め、3フェーズにわたる20年程度の計画で、英豪共同開発の新型潜水艦の就航を目指していると言う。10月2日同紙は英BAE社がこのプロジェクト関連で約40億ポンドの受注をしたとも報じている。この動きも日本は注視すべきだろう。ヴァンガード級潜水艦の技術・生産体制に見られる通り、英米共同の戦略型潜水艦のプラットフォームは、長年の実績がある。これからの世界情勢を考えれば、日本も希望さえすれば、オーストラリアと似たような取り組みは検討の俎上にのるはずだ。

 ただし、これまでに述べた装備、技術、資金以外に日本にはさらに大きな課題がある。第一に、戦略原潜のような恐ろしい兵器を運用する上での極めて高い倫理観とレベルの高い外交力だ。第二に、兵器を管理・運用するにふさわしい、組織トップから現場までの厳しい規律とガバナンス。また、第三に、国内の法整備と条約の見直しだ。どれも潜水艦を取得すること自体より、はるかにハードルは高いのかもしれない。

 日本は東アジアでの基本的な平和と安定を前提に安全保障体制を構築してきた。その短所は、平和な環境のおかげで、これまでは問題にならずに済んできただけだ。しかし、米中の緊張が高まり、中国が核兵器を含めた軍事力を異常な速さで強化しているという事実がある。中途半端な発想はとても危険だ。自国が戦禍に巻き込まれるリスクが高まってきている。なので、相手国を慎重に行動させる「抑止力」が必要だ。

 日本が購入することになったトマホークミサイルは航続距離1,600 km。日本の対馬付近から北京を目指すことはできる距離のようである。ただし、スピードは時速900 km程度なので迎撃されやすく、一度に多数を発射する飽和攻撃が必要らしい。8隻のイージス艦を改修して、このミサイルを搭載する。短期の手当としては良いが、これで中国は日本に対して「慎重に」なるだろうか?

 米国の「核の傘」は、米国本土が東アジアから遠いこと、そして最近の米国内の分断の状況を見れば、ある時、中国がある意味での「誤算」をして、日本に対してではないにせよ、実力行使をする可能性がある。それがもし起こってしまったら手遅れだ。日本の国土や国民が戦禍に巻き込まれてしまう確率はかなり高い。それが起こらないように十分に「抑止」する戦略を日本はやり切るしかない。

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