Walter Isaacson著「Elon Musk」を読んだ。正確には英語版audiobookを聴いた。
とにかく常識破りの大きなリスクがある勝負に賭け続け、そして勝ち続けてきた男だ。物理の法則に従うことなら、うまくいくはずだという確信を持ち続けている。常識の壁の向こう側に誰かがチャレンジしなければ人類は進歩しない。どこまでを本人は計算できていたのか、どこからは偶然のおかげなのか、わからない。とてつもないリスクをわりとあっさり決断できるのは、どことなく「ゲーム感覚」を匂わせる。思った通りに行かなければ、また新たなゲームを始めればよい。こう考えているのではないかと感じる。
「ワークライフバランス」とか「働き方改革」とは無縁の存在だ。もちろん、起業家ならばそういう生活はできない。マスク氏の場合、4社、5社とかけもちなので、なおさらである。オフィスや工場に泊まり込んで、床に寝るのは当たり前、何日間も寝不足が続いても働き続ける。それができる体力と情熱はものすごい。この勤勉さは尊敬できる。しかし、その周囲で働く者にとってはたいへんだろう。
マスク氏の映像を見ていて、「何かが足りない」人物だと以前から感じていた。「Empathy」(共感力)がないのだと言う。忖度などなく、かなり「いやなヤツ」。人と仲良くするといったことは苦手のようだ。一見、絶対にできなそうなことを指示し、できないなら今すぐに辞めてもらってもいいと言う。ドラマか何かだけの話だと思っていたが、マスク氏の周囲ではありふれた場面だったようだ。それでも、自らの考えを追求し、彼のもとに人が集まる(というか、残る人がいる)ということが面白い。
人類を「惑星を行き来する生命体」にしたい、というヴィジョンでSpaceXを育てた。NASAなどの公的機関の官僚的思考で硬直化していたであろう要求仕様を全て疑い、ゼロから考え直して、恐ろしく安価なロケットを仕上げた。「サヤ抜き」の「抜き」どころが満載の領域だったとしたら、マスク氏の洞察は鋭い。それにしても、マスク氏についていった技術者達はかなり優秀なのだろう。米国での技術者の人材層の厚さを感じる。
テスラでは、EVとかクルマとかは作っていない。マスク氏が作ろうとしているのは、人間の脳と直接やりとりができるAIを搭載した移動手段だ。たまたま、外見がいまのクルマに似ているにすぎない。テスラ車を見ていて、これも「何かが足りない」と感じていた。例えば、BMWが持つスポーツ感やセクシーさのような車のキャラクターだ。しかし、テスラが今の自動車をEV化することを目的にしていない、と知れば、とても合点がいく。我々が今クルマとして認識しているものの未来は、外観や走りは究極に合理化され、個性などむしろない方が良く、全く違う価値観の構造を備えるのかも知れない。(ちなみに、筆者はテスラ車には乗りたくない。安全性や保守サービスをあまりに軽んじていて、今は所詮、貴族の乗り物と感じる。)
ツイッター社を買収してなぜ「X」にしたか、よくわかった。幼少の頃からとにかく「X」という文字、発音が好きなのである。それ以上の理由は見当たらない。Wokeismに酔い、肥大した組織に大ナタを振るったことには共感する。リモートワークを排除した点も、イノベーションのためには必要で正しい。言論の自由のため、とした今回の買収だが、さっそくスラエル・パレスチナ戦争関連のフェークニュース洪水の洗礼を受けている。いますぐに、その解決策を実装できるとは予想しないが、従来的なコンテンツ・モデレーションではない対策を打ち出すだろうと思う。
スティーブ・ジョブズ氏との比較がよく取り上げられる。両氏とも夢をピュアに追い求め、既成概念を常に疑い、ビジョンに向かってリスクを承知で果敢にチャレンジする行動力は、かなり共通項がありそうだ。マスク氏は、PayPalで成功をおさめ、「連続起業家」として成功を続け、世界番付1位、2位レベルの富を築いた。マスク氏はまだ52歳だ。
ジョブズ氏も早熟でアップルで早くに成功したが、30歳の時に自分が創業したアップルから追放された。約11年後、迷走し経営難に陥っていたアップルに復帰。Macintoshビジネスの再生、音楽・映画ビジネスの立ち上げ、そしてiPhoneを世に送り出した。1990年代時点でアップルが後に時価総額世界一の企業になると誰が予想したであろうか。ジョブズの人生も、アップルという会社も壮大なドラマそのものだ。
筆者はジョブズ氏のファンだ。アップルに戻り、その昔ニュートンで方向を示したヴィジョンをiPhoneで実現し、まさしく世界を変えた。「Stay hungry. Stay foolish!」と言い残して、この世を去っていった。マスク氏は、人類を火星に送ることができるか?クルマであってクルマでない、世界を変える製品を出していけるか?「X」を言論の自由の場にできるか?全てこれからである。