衆院予算委員会での立民岡田氏と高市首相の「存立危機事態」についてのやりとりが、ちょっとした日中外交問題になった。(時事通信報道)結論から言えば、岡田氏の質問は進歩のない、昔ながらの質問であり、どんなことに役立つのか不明なものだった。また、高市氏もいたずらに踏み込んだ答弁をして、不必要でかつ沈静化がやっかいな波紋を引き起こした。二人とも国会議員が長すぎる。どこかしら現実感に乏しい議論の再現であることにすっかり慣れてしまっているようだ。どっちもどっちである。そして、誰の役にも立たない結果になっている。
2015年の「平和安全法制」は、閣議で憲法解釈を変更し、集団的自衛権を容認するための苦肉の策と一般的に解釈されている。どうやら(岡田氏のHP)、岡田氏は集団的自衛権は限定的なものとの言質を取りたかったようだ。仮にそうだとして、そして仮に満足しうる言質をとったとして、それが何だと言うのだろうか?時が経てば、人が代われば、また言質を取り続けるのだろうか?そんなに限定的な自衛権にこだわるなら、現法制の改定などの法案を提案し、国会で議論・審議すべきなのだ。岡田氏の予算会議での質疑時間の使い方は、旧態依然として、とても愚かだ。
また、別シナリオの推測として、岡田氏が高市氏のタカ派的答弁を期待して、そうした答弁を引き出すことで、非戦平和主義層の支持拡大やマスコミの反高市論調を誘ったものとも考えられる。しかし、これも時代錯誤的であり、愚かな行為だ。ウクライナ戦争のバイデン政権の初期対応の失敗を思い出せばよい。当時、米政権は「やらないこと」ばかり発信し、ロシアの行動を抑止できなかった。集団自衛権の範疇では「やらないこと」を公開の場で発することは、そもそも安全保障の目的自体つまり抑止力そのものを損なうことなのだ。
高市氏の答弁も愚かだ。多分に岡田氏の質問で呼び水を向けられ、勇み足だったのかもしれない。すればよかった答弁は、「国民の生命と財産を守る上で、あらゆる対応の可能性を排除しない。」だ。実際の自衛権のでの対応は、抽象論ではない。どんな発生事象か、相手国の意図は何か、そして事後の相手国の姿勢はどうか、など全て個別具体的にとらえなければ、誰も対応を決められないだろう。そのためには、国家情報局をハブにした同盟国との情報交換も重要になるだろう。安全保障の本質はそうした方面のことであり、過去の法制の抽象論や解釈論でありえない。高市氏には、もっと大きなポリシーを語ってほしい。
大阪総領事 薛剣(せつけん)氏が外交官としてはありえない物騒な投稿をして、このことも話題になっている。このブログを書いている時点では、政府の対応は報じられていない。遠藤誉氏によれば、薛剣氏はもうすぐ帰任の時期なのだそうだ。外交儀礼違反であり、普通に考えればPersona non grataとして国外追放の可能性もあろう。しかし、それではどこか面白くない。中国のペースには乗らないことを示すために、いっそのこと、心療内科の受診でも勧め、中国側の善処を期待することにしてはどうだろうか。
ところで、台湾有事はあるのだろうか?筆者は、武力で台湾を統治しようとするほど中国は愚かではないと考える。戦前の日本による統治が50年。戦後、事実上の主権国として80年。この時間はとても長い。中国は、政治力、台湾での教育・世論に影響を与えながら、いつの時か平和的なプロセスで統合するチャンスを狙っているのではないか。暴力的な手段に対する国際社会からのハレーションを想像できないほど中国は追い詰められてはいない。じっくりと、台湾の市民と周辺国の抵抗圧力が萎えるのを待っていると思う。
