7月18日米戦略原潜が韓国釜山に入港したと報ぜられた。原潜の韓国寄港は40年ぶりとのことだ。ロケット開発と発射を続ける北朝鮮に対する抑止行動の一貫だ。おそらく、米国側の背景の考え方には、アクティブ・ディナイアル (Active Denial) があるのだろう。アクティブ・ディナイアルとは、敵国が仮に先制攻撃に成功したとしても、自国には有効な反撃能力を十分に残す能力があることを示し、そのことによって敵国の自制を促そうとする作戦だ。「北朝鮮のミサイル・核開発問題」は、この延長線上で解決可能だろうか?
朝鮮戦争の休戦協定が調印されたのが1953年7月27日。あと数日でちょうど満70年になる。長い期間にわたり戦争状態自体が続いたのは世界史の中で数多いが、形骸化することなく、外交的な対立と軍事的な睨み合いの両方を継続させた「休戦」期間としては、歴史上、例を見ないことだろう。
1950年朝鮮戦争勃発から1953年休戦までのタイミングは日本に稀有な状況を残している。外務省「朝鮮国連軍と我が国の関係について」令和5年3月27日 にはこう書かれている。横田基地には、朝鮮戦争に対応する国連軍の後方司令部がある。この国連軍の司令官は、在韓米軍司令官が兼務しているというのだ。
当時の共産主義総本山は、スターリンのソ連だった。ソ連の世界的な共産主義運動のもと、毛沢東と金日成は、アジアでそれぞれの共産主義国家を樹立した。朝鮮戦争は、スターリンが金日成の後ろ盾となり、毛沢東が中国人民義勇軍を派遣することでサポートした戦争だ。その共産主義の拡大に対峙したのが米国一国ではなく、「国連軍」ということだ。国連において、ソ連は拒否権を持つ常任理事国だ。何故、そのようなことになったのか。
当時の国連安保理で中国を代表していたのは台北に遷都した中華民国であり、毛沢東の中華人民共和国政府は代表どころか、そもそも国連メンバーですらなかった。ソ連はと言えば、この中国の代表権問題に抗議し、国連安保理をボイコットしていたのだ。(ちなみに、サンフランシスコ条約をソ連が調印しなかったのも同じ理由)
休戦から70年が経ち、世界情勢は大きく変わった。しかし、このロシア(旧ソ連)・中国・北朝鮮 vs. 米国がリードする国連軍(あるいは、事実上の米軍)という「稀有な状況」はそのままのかたちで温存されてきたことになる。
この関連で日本の立ち位置はどうか?日本が占領状態から主権回復したとされるサンフランシスコ条約の発効が1956年4月、そして日本は同年12月に国連に加盟した。国連安保理決議の1950年と休戦成立の1953年は、どちらも敗戦国日本の外交復帰前の出来事だったということになる。
この70年の間、そもそも北朝鮮は中国の衛星国家としてやってきただけでなく、宗主国ロシア(旧ソ連)とも繋がりが深い。そして、奇しくも2022年2月のロシアのウクライナ侵攻を契機に、ロシアは欧州を捨て中国にこれ以上ないほど接近した。議論はあるだろうが、パワーバランスで言えば、中国はロシアを圧倒している。
こうしてユーラシア大陸東沿岸では、70年前と役者は一緒だが、役どころが一変している。70年前の主役はソ連のスターリンだった。毛沢東は、ソ連に従属する立場、そして北朝鮮は、ソ連と中国の支援を受ける国家だ。しかし、今の主役は強大になった習近平の中国だ。そして、中国を後ろ盾とし、東西を固めるのが北朝鮮とロシアという構図となった。
緊張関係が誰の目にも見える現象としては、確かに北朝鮮である。しかし、こうして見ると、やはり鍵は中国にある。加えて、日本としても直接の影響がある東アジアという枠組みでは、ロシアもわずかだが北朝鮮との国境を持っており、直接の利害関係国として振る舞うことに違いない。
この意味で、「北朝鮮のミサイル・核開発問題」は、表面的な見え方ばかりでなく、背後にいる手強い中国とロシアとの対峙だという認識を強めるべきだ。それゆえ、解決は容易ではない。日本は、他国と手を組み、外交と通商のあらゆる手段で現状変更を抑止することに努めるほかない。