アメリカがホルムズ海峡を「逆封鎖」すると宣言した。イランの海峡支配力を否定しようとする意図はわかるが、存立危機事態に直面したイランがその程度で降伏するとは考えにくい。イランは、フーシ派と連携して紅海の出口をも封鎖し、世界の主要航路を完全に遮断する選択肢さえ持ち合わせている。この対立はもはや週単位の小競り合いではない。月単位、あるいはそれ以上の長期戦を覚悟すべきだ。
それにもかかわらず、本日の日経平均株価は58,000円近くまで値を戻した。中東情勢の泥沼化をよそに、市場はどこか楽観的だ。日本には約250日分の石油備蓄があるという安心感が、投資家の背中を押しているのだろう。しかし、これは典型的な「正常性バイアス」ではないか。われわれは、コロナ禍で学んだはずの教訓を、わずか数年で忘却しようとしている。
現在の危機の本質は、日本国内の燃料不足ではない。日本の製造業を支える「アジア供給網(韓国・台湾・ASEAN)」が、燃料と原材料の二正面から追い詰められつつあることだ。
韓国や台湾のエネルギー依存構造は日本以上に脆い。特に台湾のLNG備蓄は、夏季であればわずか10日分程度に過ぎない。エネルギーの入り口を塞がれた台湾で、世界シェアの6割を握るTSMCをはじめとする半導体生産が停止すれば、日本国内にどれほど燃料があろうとも、精密機器や自動車の生産ラインは即座に停止する。
さらに深刻なのは、石油化学製品の基礎原料であるナフサの不足だ。韓国や東南アジアはナフサの多くを中東に依存している。プラスチック、樹脂、電子基板の基材となるこれら「産業の血流」が滞れば、現地で製造される部品供給は止まる。コロナ禍では、マレーシアのコロナ期ロックダウンでワイヤーハーネス一種類が届かないだけで、日本の完成車メーカー全社が操業停止に追い込まれた。今回の「海域封鎖」という物理的な断絶は、その再来、あるいはそれ以上の規模のダメージとして日本を襲っても不思議はない。
一般に報じられる「ガソリン代の高騰」は家計の問題だが、「アジアのエネルギー・原材料不足」は日本産業の存立問題だ。ヘリウムの供給元であるカタールからの物流が断たれれば、半導体露光装置も医療用MRIも稼働できない。これらの「目に見えない欠品」が顕在化するのは、物流のタイムラグを経て、現地の仕掛在庫が底をつく数週間後からだろう。
現在の株価の強さは、国内の原油価格相場という「点」だけを見た一時的な反応に過ぎない。しかし、現代の製造業は東アジア全体がひとつの工場として機能する「線」の構造だ。その線が中東という急所で断たれている以上、数ヶ月後には多くの企業の下方修正の嵐が吹き荒れる可能性がある。
「自分たちは大丈夫だ」という正常性バイアスを捨て、サプライチェーンの深層で進行する静かなる炎症に目を向けるべきだ。見かけの数字に惑わされている時間はもう残されていない。
