「カットした」と誇った農水相 簗氏辞任の本当の問題

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10月14日夜、簗和生農相が辞表を出した。高市政権で、不祥事による閣僚の辞任は初めてである。

閣僚の辞任といえば、このところは政治資金の問題が多かった。今回は違う。公選法違反の疑いも重なったが、火元は一つの発言だ。

今年5月、地元栃木の党員懇親会でのこと。簗氏は、那須烏山市と那珂川町の道路予算を「大幅にカット」したと語った。2月の衆院選で、両市町の首長は対立候補を応援していた。

国交省は働きかけを否定している。調査によれば、簗氏が口にした減少率は、予算成立後に同省から説明を受けた数字だったらしい。仮にそうだとすれば、役所から聞いた結果を、自分の手柄として語ったことになる。

筆者は、そこはどちらでもいいと思っている。本当に動いたのなら論外だ。盛った武勇伝だったとしても、そういう論理で話す議員であることに変わりはない。問題は事実関係よりも、簗氏の世界観の方にある。

その世界観は、首をかしげたくなるほどずれている。予算を減らされて困るのは首長ではない。道を使う住民だ。その中には、簗氏に票を入れた人もいるはずである。首長を罰したつもりで、自分の有権者を罰している。憲法は国会議員を「全国民の代表」と定める。全国民どころか、自分の選挙区の住民すら見えていない。

しかも、これは酒席の失言ではなかった。後援会が公開した動画には、無所属や野党では三区の予算はカットされる、という趣旨のタイトルが付いていたそうだ。陣営が公然と掲げたわけだ。

面白いのは、有権者がこのような選挙宣伝に乗らなかったことである。2月の衆院選では、簗氏は保守系無所属の候補に敗れ、比例で復活した。3月の大田原市長選でも、簗氏が推した候補は現職に敗れた。脅しは、地元では効かなかった。

筆者は当初、国会議員に期待される役割について、社会の認識が劣化しているのではないかと考えていた。どうやら違うらしい。少なくとも栃木3区では、劣化していたのは有権者ではない。議員と、その周りの内輪の人々の側である。

内輪で通じる話は、外では通じない。そのずれは、そのまま危機対応にも表れた。報道の直後、簗氏は大臣就任前の一議員としての活動についてはコメントを控えると、約20回繰り返した。「控えさせていただく」という常套句で、嵐はやり過ごせる。そう踏んだのだろう。甘い。記者はそんな言葉では引き下がらないし、問われていたのは農相の所管ではなく、議員としての在り方だった。それを「所管」と「時期」で切り分けて逃げようとした。予算を自分の縄張りと見る発想と、根は同じに見える。

不思議なのは経歴だ。東京生まれ。慶應から東大大学院に進んで経済学を修め、シンクタンクの研究員を経た。世襲ではない。農政通としての評判も高く、首相はその知識と政策構想力を買っていた。そんなエリートが、なぜこれほど単純な誤りを犯すのか。

筆者の見立てはこうだ。かつての利益誘導は、地元の側に立って、中央から予算を引き出すものだった。今回の事案はこれとは異なる。簗氏は、配る力だけでなく、止める力まで誇った。つまり、立ち位置が中央の側にある。初当選は2012年。党と官邸が強い「一強」の時代しか知らない世代だ。予算の蛇口は自分たちが握っている。そう思い込んでいたとしても不思議はない。推測にすぎないが、経歴とはよく整合する。

政策をつくる力と、全国民の代表としての自覚は、別物なのだろう。

大臣は辞めた。だが、議員としての問いは何も片付いていない。公選法の疑いも残る。小選挙区では敗れ、比例で拾われた身だ。次の選挙で、党が名簿の上でどう遇するかも分からない。前途は多難である。

後任には武部新氏が起用される。父は幹事長と農水相を務めた武部勤氏。地盤を継いだ二世で、初当選は簗氏と同じ2012年だ。世襲でないエリートがつまずき、世襲の二世がその後を埋める。皮肉といえば皮肉である。

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