アメリカの経済学者 ペリー・メーリングを悼む

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学界の周縁にいた人

今月半ば、米国の経済学者ペリー・メーリング氏の訃報を目にした。自宅で転倒し、2週間ほど昏睡が続いた末の死だったという。67歳。

日本では、知られた名前ではなかった。主著『The New Lombard Street』には『21世紀のロンバード街』という邦訳がある。広く読まれたとは言いがたい。筆者がメーリング氏を知ったのも、本ではなかった。コロンビア大学のオンライン講義だ。金融論入門、全部で20回ほど。

講義は、教科書のIS-LMからは始まらない。19世紀のバジョットと、資産と負債を左右に並べた簡単な貸借表から始まる。銀行制度の歴史を、一つずつ丁寧にたどる。そこで語られたのが「マネー・ビュー」だった。

骨格は単純だ。経済主体はすべて、バランスシートとして見る。そのうえで、今日の支払いを今日の資金で賄えるかを問う。将来どれだけ儲かるかではない。今日、払えるか。メーリング氏はこれを「生存制約」と呼び、流動性は一瞬で命取りになると繰り返した。

貨幣にはヒエラルキーがある、とも言った。頂点に中央銀行の負債があり、銀行預金、証券と下っていく。平時には、下位の約束が貨幣の代わりをつとめる。危機になると、誰もが上位の貨幣を求めて殺到する。当たり前のようでいて、主流派の教科書にはほとんど出てこない視点だ。

学界では少数派だった。ただ、現場は違った。2007年秋、彼は最初の授業で、この学期に過去10年の金融イノベーションが初めて試されると予告したそうだ。そのとおりになった。後にニューヨーク連銀で短期金融市場の分析で名を上げるゾルタン・ポズザールは、メーリング氏を「師」と呼ぶ。学界の周縁にいながら、中央銀行と市場の実務家に読まれた人である。

メーリング氏が唱えた「マネー・ビュー」が、今ほど必要とされる時はない。筆者はそう思う。

GDP55兆ドル、株と債券208兆ドル

日米欧(ユーロ圏と英国)の名目GDPは、2025年で合わせて約55兆ドル。同じ地域の株式時価総額と債券残高を足すと、約208兆ドルになる。30年前の1995年、この比率は1.6倍ほどだった。今は4倍に近い。

55兆ドルの経済の上に、208兆ドルの株と債券が乗っている。2025年の日米欧の姿だ。経済学が測っているのは、主に下の55兆ドルのほうである。

金利の効き方も、もう教科書どおりではがない。これだけ資産が大きければ、利上げは引き締めであると同時に、保有者への利息という所得移転でもあり、評価損という資金繰りの火種でもある。どれが優勢的な現象として顕在化するかは、誰が何をどんな資金で持っているかで決まる。GDPと政策金利だけで組み立てた理論には、それが入ってこない。

なぜ入ってこないのか。一つは測り方の問題だ。GDPを軸とする国民経済計算は、1930〜40年代、大恐慌と総力戦の時代に整えられた。国際収支統計が形をなしたブレトンウッズ体制下では、資本移動は規制されていた。国境で閉じた経済と、資本が自由に動かない世界。統計はその前提で設計され、前提が消えた後もほぼそのまま残った。見えないものは、理論に入らない。

もう一つは経済学と金融論の分業だ。1958年のモジリアーニ=ミラー定理は、マクロ経済学が金融の細部を脇に置く口実になった。一方でファイナンスは、1973年のブラック=ショールズ・モデルを頂点に、ビジネススクールで独り立ちした。資産価格は精緻に計算できるようになった。だが、その計算が国際経済にどうつながるかは、誰の担当でもなくなった。国際金融は、二つの学問の隙間に落ちた。

興味深いのは、この盲点がアダム・スミス以来のものではないことだ。ヒュームは金の国際移動を論じ、バジョットはロンドンの短期金融市場を克明に描いた。古典派には見えていた。皮肉にも、見えなくなったのは20世紀の半ばのことで、測れるものと計算できるものの枠組みが固まった時期である。

メーリング氏が、ファイナンスの天才フィッシャー・ブラックと、国際経済学者キンドルバーガーの二人の伝記を書いたのは、偶然ではないだろう。分断された二つの世界の両側に立ち、橋を架けようとしたのだと筆者は読む。数式ではなく伝記を選んだこと自体が、分業の壁への答えだったのかもしれない。

債権大国の位置

日本は、この盲点を体現した国だ。2025年末の対外純資産は561兆7,504億円。7年連続で過去最大を更新した。統計の上では、紛れもない債権大国である。

だが中身を見ると、景色は変わる。2024年の対外資産の増加は、主に円安による外貨建て資産の評価益だった。円が弱くなるほど、円建ての統計では日本は豊かに見える。物差しが、現実と逆の信号を出している。

経常収支も巨額の黒字だ。それでも円は安い。黒字の多くが海外で再投資され、円に戻ってこないからだ。唐鎌大輔氏が「仮面の黒字国」と呼んだ構図である。経常黒字なら通貨高という教科書の理屈が、もう成り立たない。

「マネー・ビュー」で見ると、さらに逆転が起きる。ネットの数字で測れば、日本は強く、4,000兆円を超える純債務を抱える米国は弱い。ところが貨幣のヒエラルキーでは、米国の負債はドルそのものであり、世界が欲しがる貨幣だ。日本は巨額のドル資産を持つが、危機になればドルを手に入れなければならない側にいる。

世界有数の債権国が下位にいて、世界最大の債務国が頂点にいる。ネットで測る統計は、この逆転を映さない。そしてこの逆転は、経常収支と為替を結ぶ国際経済学と、資産のヘッジを扱うファイナンスの、ちょうど隙間に落ちている。

継ぎ目のきしみ

世界金融危機(GFC)後の規制で銀行の枠が縛られ、膨らむ国債を受け止めたのはヘッジファンドだった。そこにAI投資の巨額の社債が重なる。国債と社債が、限られたバランスシートを奪い合う。

今月中旬のコアウィーブ・ショックは、借金の膨張と、それを受け止める財布の限界との継ぎ目が、どこできしむかを見せた。AI向けクラウドの新興企業の社債利回りが15%を超え、東京では日経平均が5%近く下げた。一企業の資金繰り不安が、相関の高いポジションを伝って海を越えた。ファンダメンタルズではなく、保有の構造で広がる。「マネー・ビュー」の教科書どおりの光景だ。

サブプライムとの相似を指摘する声もある。たしかに、採算の実証されていないテナントのリース料が証券化され、格付けを得て、安全資産の顔をしている。危ういものを安全に見せる仕組みは、メーリング氏が弟子とともに分析したものそのものだ。それは国債の役割を果たす。突然、果たせなくなるまでは。

ただし、決定的な違いもある。GFCの本当の破壊力は、住宅ローンの損失額ではなかった。それを短期のホールセール資金で回していたことにある。担保が疑われた瞬間、短期金融市場で取り付けが起きた。今回のデータセンター債務は、まだ保険会社やプライベート・クレジットなど、長い資金の手にある。短期資金では回されていない。

資産を見るな。それを誰が、どんな資金で持っているかを見よ、とメーリング氏なら言うだろう。

冷徹な計算と政治の言葉

国境を越えた世界でも、同じことが起きている。FRBは日銀を含む5中銀と、無制限のドル・スワップラインを結んでいる。危機のとき、日銀は円を差し出してドルを引き出せる。日本にとっては、特等席に見える。

だが、2008年にこの仕組みが本格的に動いたのは、欧州や日本の銀行が抱えた米国資産の投げ売りを止めるためだった。2020年も同じだ。スワップラインは恩恵ではない。米国市場の防波堤である。日本が守られるのは、日本が潰れると米国が困るからだ。米国資産を大量に持つから守られ、大量に持つからドルに依存する。保護と従属が、同じ理由から生まれている。

2026年7月末の円買い介入は、その構図を鮮やかに見せた。日本が推計850億ドルのドルを売り、米財務省もユーロを売って円を買った。日米による協調の円買いは1998年以来である。日本の財務省は、米国債を担保にFRBからドルを調達できる仕組みがあることも、わざわざ市場に示した。

トランプ大統領は「友好の印」だと言った。市場は別の読み方をした。日本が介入資金のために米国債を売れば、米国の金利が上がる。それを防ぐための介入だ、と。円を守るというより、米国債を守る介入だった。

冷徹な計算こそ、実は最も信頼できる保証だった。米国は、自分の市場を守るために必要な相手には必ずドルを出す。危ういのは、その計算が「友好」という政治の言葉に包まれ始めたことである。財務省を通じたドルの融通は、アルゼンチンや湾岸諸国にも広がりつつある。守られるかどうかが、市場の必然から政権の判断に移る。そのとき、席の保証も揺らぐ。

測らないもの

現場の中央銀行は、それを知っている。危機のたびにFRBは最後のディーラーとして市場を支え、スワップラインを開き、銀行規制を緩めてきた。いずれも、「誰がどんな資金で持っているか」への手当てだ。だが理論がそれを持たない以上、繕い方はいつも事後の救済になる。

メーリング氏が日本であまり読まれなかったのは、経済学の文法から外れていたからだろう。だが今、その文法の外側で、世界の金融は動いている。円も、米国債も、AIの借金も。 経済学は、55兆ドルを精緻に測る。その上の208兆ドルを、誰がどんな資金で抱えているかは測らない。測らないものは、仮に問題があったとしても直されない。直されない問題は、救済されるたびにむしろ大きくなる。メーリング氏の死は、その不在をまた一つ深くした。

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