投資家に4月22日記事と同じ問いを繰り返したい。チャートでもヘッドラインでもない。見るべきは一点、「タンカーはホルムズを無事に通れているか」だ。答えは、通れていない。ならば、残りの議論はすべて、その現実から始めなければならない。
7月13日、トランプはアメリカを「ホルムズ海峡の守護神」と称し、「たぶん我々が運営する」と述べ、全貨物に二割の通行料を課すと宣言した。正直、「またか」という感想だ。しかし、これまでのように「また」が続くとは限らない。
1. 守りようがないことを守ると言う守護神
海峡を「コントロール」とは、爆撃で叩くことではない。要衝を保持することだ。ここを取り違えてはいけない。
イランのやり方は、艦隊決戦ではない。機雷、対艦ミサイル、潜水艦、小型艇の群れ。海峡を「危険なまま」に保ち、敵の弾薬在庫と政治的忍耐をじわじわ削る。それで足りる。
アメリカは船を撃沈できる。港も叩ける。つまり「否定」はできる。だが、安全な通航を保証することはできない。通行料は、その保証の上にしか成り立たない。守れないものに料金は取れないだろう。
元国連イラク大量破壊兵器査察官 スコット・リッター氏は、この宣言を軽く一蹴した。もしアメリカにその能力があるなら、開戦から数か月、とうにやっているはずだ、と。正確には「やれない」というより、払える代価ではできない、というべきか。いずれにせよ、できないからこそ、現状がある。
2. 対中カードが、同盟国を味方撃ち
そもそも、この課金は誰を狙ったものか。名指しはない。だが最大の的は中国だろう。ホルムズを通る原油の4割近くは中国向けだ。制裁下の割安なイラン原油も、ほぼ北京へ流れる。海峡を封鎖すれば、その抜け道をふさげる。ここまではよい。
だが、2割の通行料のほうは中国向けの通航には限らない。海峡を通る者すべてにかかる。そして通航量で見れば、割を食うのはアジア――とりわけ日本、韓国、インドである。
日本は原油の9割をホルムズに頼ってきた。世界平均の2割とは、レベルが違う。トランプ氏による対中カードのつもりが、まず同盟国を撃つ。しかも利上げ観測が円安を呼べば、ドル建ての原油高に加え、円安と通行料が上乗せされる。アメリカの安全保障の演出代金を、日本の消費者が払う。そういう構図になりかねない。まあ、アメリカはこんなことには気にもかけていないようだ。
3. 市場は、いつもの逃げ方を忘れた
市場の反応が、事の性質を鋭くとらえている。
株が下げ、同時に債券も下げた。ふつうの地政学ショックなら、逃げ場として国債が買われ、利回りは下がる。今回は逆だ。2年債利回りは16か月ぶりの高さ、10年債も4.6%台へ。つまり、これは「危機」ではなく「インフレ」として読まれている。供給ショック型のスタグフレーションという解釈だ。
半導体が真っ先に崩れたのも、割引率の話として腑に落ちる。金利が上がれば、遠い将来の利益で値のつく高PER株が、最も下落する。TSMCが上期に3割超の増収を出しても、株は売られた。ミクロの好調をマクロの金利が上書きした。
面白いのはゴールドだ。地政学とインフレが重なる、ゴールドにとって願ってもない場面で、価格は上がらない。実質金利の上昇とドル高が、逆風になっている。短期はドルに人質を取られ、長期は金へ逃げる。この時間軸のねじれが、いまの相場の底に流れているようだ。
4. 罠――最善手を自ら封じた
シカゴ大 ロバート・ペイプ教授は、これを「エスカレーションの罠」の第三段階だと見る。同氏の理論は、これまでの動きをよく予想してきたので注目している。
罠の仕掛けは単純だ。「守護神」という宣言は、ただの軍事声明ではない。政治的な約束である。引けば、国内で恥をかく。だから引けない。なので、なおさらに進むしかなくなると言う。
皮肉なことに、アメリカにとっての最善手は、たぶん退却だ。海峡は保持できず、弾薬は減り、イランは折れない。合理的なプレイヤーなら、面子を取り繕いながら手を引く。ところがトランプ氏は、その退路を自分の宣言で塞いでしまった。最善手が消えたのではない。自ら消したのだ。ここに、この賭けの本質がある。
弾薬の話は、笑えない。対イラン作戦の初期数週間で、主要な迎撃弾や精密ミサイルの半分近くを使ったと伝えられる。補充には数年かかる。中国を締めるはずの介入で、対中で最も要る弾倉を空にしている。中国は、時を同じくしてSLBMの発射実験を行い、余裕さえ感じさせる。
5. 三つの扉が閉じた
この紛争のありうる出口を順に確認していこう。
外交では解決できない。約束を破った者を罰する審判が、国際政治にはいない。イランは、核を手放した後にアメリカ政権が変わり、再び制裁される未来を予見する。だから手放さない。4月の記事で書いた「コミットメント問題」は、いまも居座っている。
国連でも解決できない。4月7日、湾岸諸国が提出の「イランに商船攻撃と航行妨害の即時停止を要求」などを含む決議案は、中国とロシアの拒否権で否決された。中・露・イのユーラシアの結集は、少なくとも「アメリカを止める」一点では固い。
ただし、私はこれを一枚岩の同盟とは見ない。中国は原油の安定供給を望み、イランの封鎖にも与しない。傅聡大使自身が、そう明言している。結束は、共通の目的からではなく、共通の敵から来る。便宜の連合だ。だが、便宜であっても、審判にはなれる。かつてアメリカは、その審判たりえた自国の立場を、自ら敵に譲ってしまった。4月に書いた「保証人の不在」が、いま国連の議場で姿を現している。
武力でも解決できないことは、すでに述べた。叩けても、保持できない。このように、三つの扉は、すべて閉じている。
6. 覇権国アメリカの仮面が外れる
残る変数は、ひとつ。金融だ。ここで、話は海峡から、もっと深い場所へ移る。
アメリカが築いた世界の金融市場は、繁栄の土台であると同時に、自らの債務を諸国に背負わせる仕組みでもあった。世界が貿易黒字を米国債に還流させ、アメリカの財政赤字や戦費をファイナンスする。通貨発行益という名の静かなレント。それがアメリカ帝国を支えてきた。
通行料は、その仕組みの仮面を外す。今まで静かに徴収してきたレントを、チョークポイントで、露骨に、物理的に取り立てる。仮面が外れたとき、それを支えてきた自発的な参加者――外国の債権者――は、出口を探し始めることになる。
そして、もう探し始めている。外国公的部門の米国債保有比率は、かつての5割超から3割へ落ちた。2026年、中央銀行の金保有額は、ついに米国債保有額を上回った。1996年以来のことだ。ドルの準備通貨シェアは、7割から、6割を割る手前まで下げた。引き金は、2022年のロシア準備凍結。準備資産が「中立の価値」ではなく「政治の人質」だと露見した瞬間である。
4月の記事で、石油をめぐって「金融の虚構」と「現物の真実」を対置した。同じ対立が、いま貨幣そのものの次元で反復されている。米国債は紙に書かれた約束、ゴールドは現物。石油で見抜いたことが、準備資産で起きている。虚構は、現物に勝てない。
7. 制止役なき現代版「スエズ危機」
ここまで来ると、ひとつの歴史が思い出される。1956年のスエズ危機だ。
あの時、英仏はスエズ運河を実力で押さえた。軍事的には成功した。だが、維持できず、屈辱のうちに撤退した。折らせたのは敵ではない。市場だった。ポンドが売られ、通貨危機が突きつけられ、帝国の見栄はあっけなく終わった。
ただし、当時は引き金を引く一人の人間、制止役がいた。アイゼンハワー米大統領である。地政学上のチョークポイントでの無謀な冒険を、基軸通貨国が制止した。
そして70年後の2026年、構図は反転している。無謀な冒険を仕掛けているのは、そのアメリカだ。制止するしかけは、政府債券市場だ。しかし、違うのは、引き金を引くのは一人ではないこと。あの日のアイゼンハワーに当たる制止役が、どこにもいない。
従って、今回はスエズ危機のような一撃の屈辱にはならないだろう。ポンド売りのような劇的な崩落でもない。もっと緩やかで、しかし後戻りのできない地滑り。誰かが押すのではなく、皆が同時に静かに部屋を出ていく。特定の国や人物はいない。時間を告げる者もいない。 守ることができない海峡の「守護神」アメリカは、いずれ気づくのかもしれない。自分の意のままになるつもりの金融市場で、参加者たちがとうに扉の外へ歩き出していたことに。パンドラの箱の底に希望が残っていたかどうかは、まだわからない。ただ、その箱を開けたのが誰であったかは、もう誰の目にも明らかだ。
