湾岸戦争の幻想を捨てよ。「350兆ドルの借り換え」が直面する流動性の断崖

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イスラエル・アメリカ対イランの緊張が続いている。メディアでは1991年の「湾岸戦争」や1970年代の石油危機を引き合いに出す解説が目立つ。現在の市場関係者は若い。なので、湾岸戦争のように原油価格の一時的な高騰を経て、早期に事態が収束するという楽観論が優勢に見える。はたして本当にそれで良いのだろうか。
独立系のストラテジストLyn Alden氏やFFTT, LLCのLuke Gromen氏、そして「流動性の預言者」Michael Howell氏らの鋭い指摘に耳を傾ければ、そうした アナロジーがいかに危ういものであるかが浮き彫りになる。現代の金融・地政学構造は、50年前、30年前とは数学的(=債務の複利増大とGDP成長率の逆転)に異なるフェーズにあるからだ。

まず、湾岸戦争との比較。軍事的・戦術的前提が当時とは決定的に違う。湾岸戦争「砂漠の嵐作戦」は、周到な準備期間と国連決議という国際的な大義名分、そして多国籍軍の結成を経て行われた。戦域はペルシャ湾奥に限定され、地上戦はわずか100時間で幕を閉じている。
これに対して現在はどうだろう。既に開戦から2週間が経過しても出口は見えず、戦域はホルムズ海峡全体を脅かす広域に及ぶ。この「時間軸の歪み」は、戦費の膨張を通じて、すでに限界に近い主要国の財政を更に圧迫することだろう。

加えて重要なパワーバランスの大きな違いもある。1991年当時、ソ連崩壊直後で現ロシアは弱体化し、経済躍進前の中国は国際的な力を持たなかった。アメリカの「一極集中(ユニポーラ)」状態で、その威圧力が機能していた時代だ。しかし現在は、軍事においては「もの」を作らなくなった米国の圧倒的強さに疑問符がついた。また、経済面では、BIS(国際決済銀行)の統計が示す通り、人民元を含む非G7通貨の取引シェアが上昇し、ドルを介さない貿易の増加傾向が顕著だ。

そして筆者が最も懸念するのは、G7諸国のバランスシートの脆弱性だ。IMFのデータによれば、現在の主要国公的債務の対GDP債務比率は平均110%を超え、第二次大戦直後のピークに迫る異常事態にある。
また、さらに歴史を振り返れば、1970年代の石油ショックの際、FRB議長ポール・ボルカーは政策金利を20%までの利引き上げによって、インフレを力ずくで抑え込んだ。それが可能だったのは、当時の米国の政府債務比率が30%台と低く、高金利という「猛薬」に耐えうる筋肉質な財政だったからだ。しかし、債務比率が当時の3倍以上に膨れ上がった現在、同様の利上げを行えば、利払い費だけでアメリカ国家予算は吹き飛ぶ。もはや当時のような解決策は存在しない。

ここで、Michael Howell氏が指摘する「グローバル・リクイディティの循環」が重い意味を持つ。同氏によれば、現代の金融システムは新たな資金を実体経済に供給する場ではなく、積み上がった350兆ドルに及ぶ巨額債務(グローバル経済全体の債務総額)の「延命(借り換え)」のための装置へと変質している。流動性サイクルが下落局面に入る中で起きる地政学ショックは、債務借り換えを支える「バランスシートの容量」を急激に収縮させ、世界的な信用収縮を引き起こす引き金になりかねない。

金融システム内部の「影」も、その脆弱性を加速させる。岡崎良介氏らが指摘するように、現在のリスクは銀行部門よりも、不透明な「プライベート・クレジット」の肥大化に潜んでいる。そこは中央銀行の監視が届かない、システムの暗部である。BISの報告でも、銀行以外の金融仲介機関(NBFI)が保有する資産は、グローバルな金融資産の約半分に達した。流動性の潮目が変わる中、これら非公開市場でのマージンコールが連鎖すれば、システム全体が機能不全に陥りかねない。

第二次大戦時、英米の証券取引所は戦時下でも取引を継続させた。それは中央銀行が国債価格を固定し、すべての負債を引き受けるという「究極の金融統制」があったからこそ可能だった。しかし、現代の複雑なレバレッジ市場において、再びその手法を用いれば、それは市場の継続ではなく「法定通貨の死(Fiat Currency End-game)」を意味するだろう。

結局のところ、石油ショックや湾岸戦争の記録を頼りに現状を判断するのは、バックミラーだけを見て荒れ狂う砂漠を横断しようとするようなものだ。
もしこのまま「法定通貨の死」が現実のものとなれば、我々はカウンターパーティ・リスクが一切存在しないゴールドなどの実物資産に、生存の糧を求める以外に道はないのではないか。

筆者は、今すぐの破局を予言しているわけではない。しかし、これから5年から10年というスパンで見れば、このリスクはもはや無視できない確率になってはいないか。かつて、数日で終わると囁かれたウクライナ戦争が5年目に突入しているという冷徹な事実を忘れるべきではない。

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