はなぜ人ではなくAIに相談したのか——阿部監督辞任の背景に見えるもの

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阿部慎之助監督の突然の辞任劇。その背景には、こんな経緯があった。姉妹喧嘩の仲裁に入った父親が、言い返した長女の胸ぐらをつかんで押し倒した疑いがある。その後、長女はChatGPTに相談し、AIの回答に沿って児童相談所へ連絡。児相が警察に通報し、現行犯逮捕という展開になった。

論点はAIリテラシーに向かいがちだ。「児童」相談所に18歳の自分が該当すると思ったこと、AIの回答を「自分の状況への正解」として受け取ったこと、公的機関が動き出す連鎖を読めなかったこと。それもある。

だが、もっと引っかかるのは別の点だ。出来事の直後、長女が向かったのがスマホだったことだ。怒鳴り合いが続く、泣く、母親に泣きつく、友人に電話する、一晩寝て頭を冷やす——そういう人間的なプロセスが見当たらない。家庭内のことゆえ実際のところはわからない。ただ、感情的な摩擦をまず人間関係の中で処理しようとする回路が、働きにくくなっている可能性は感じる。

スマホだけを原因にするのは単純に過ぎる。共稼ぎ、出張、夕食時に父親の席が空いている食卓——家族が同じ時間と空間を共有する機会は、ずっと前から構造的に削られてきた。個人の孤立化は、テクノロジー以前に始まっている。スマホとAIは、その加速装置に過ぎない。

見落とされがちな違いがある。AIとのやり取りは、テキストだけだ。人間と話すとき、そこには声がある、表情がある、沈黙がある。怒りも悲しみも、身体全体を通して伝わる。その総体が感情を動かし、関係を修復し、深化させる。AIからのテキストの応答がいかに的確でも、本当の感情や愛情は届かない。この大きな違いにもっと自覚的であるべきだろう。

あの夜、長女が頼れる人間が、彼女の視野に入らなかったとしたら。そのことが静かに重い。

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