国民なき民主主義——EUという実験のきしみ

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2026年9月6日、ザクセン=アンハルト

2026年9月6日、ドイツ東部のザクセン=アンハルト州で選挙があった。右派のAfD(ドイツのための選択肢)が44.1%を取り、第一党になった。5年前の前回は20.8%だから、票を倍以上に増やしたことになる。州議会の83議席のうち39を占めた。ただし、単独で過半数となる42には、3議席届かなかった。それまで州を率いてきたCDU(キリスト教民主同盟)は17.1%まで沈み、議席は40から15へと崩れ落ちた。投票率は、前回の60%から76%へ跳ね上がった。人々は無関心から覚めて、こぞって投票所に足を運んだのである。

もっとも、勝ったからといって、AfDが州を動かせるわけではない。他の党は、AfDと手を組むことを拒む「防火壁」を崩していない。なんと、選挙で一番勝った党が、政府には入れない見込みが高いという。戦後のドイツで最も過激とされる勢力が州を率いる、という一線は、まだ越えていない。だが、一番勝った党を外して政治を回す。その光景そのものが、次の火種になる。

一つの州の選挙にすぎない。そう言ってしまえばそれまでだ。だが、ここ一年の欧州の出来事を並べてみると、これが単発ではないことがわかる。

2025年11月、アメリカが新しい国家安全保障戦略をまとめた。そこには「欧州の偉大さを取り戻す」という一節があり、EUを名指しで批判している。2026年3月には、ハンガリーがウクライナ向けの巨額の支援をせき止めた。4月には、EUの裁判所がハンガリーの反LGBT法を「EUの法に反する」と断じた。7月には、フランスのルペンをめぐる裁判に判決が出て、再び注目が集まった。そして9月、この州選挙である。

「終わった」はずの歴史が、あちこちで同時に音を立てて動き始めている。そんな感覚がある。筆者はここ数年、EUという組織にどこか座りの悪さを感じてきた。G7の席に一つの国のように加わり、ウクライナ情勢にも積極的に発言する。だが、EUは国ではない。ならば、あの声は誰のものなのか。本稿は、その座りの悪さの正体を、自分なりにたどってみる試みである。問いは一つ。EUという人工の実験は、なぜ今きしみだしているのか。

主権のプール——何を託した機関か

まず、EUとは何を託された機関なのかを確認しておきたい。

加盟国がEUに預けている権限は、大きく三つのレイヤーに分かれる。一つ目は、完全に手放したレイヤーだ。他国との貿易ルールや、ユーロ圏の金利や通貨の発行がこれにあたる。これらはEUだけが決められ、加盟国はもう口を出せない。

二つ目は、国とEUが分け持つレイヤーである。人・モノの移動、環境・農業の規制、移民・国境の管理。国も法を作れる。だが、EUが一度ルールを決めると、そのEU法が国の法を上書きする。国の頭越しに、EUが決められるのだ。ここが、いちばん不満のたまる場所になる。

三つ目は、最後の一言を国が握ったままのレイヤーだ。外交や安全保障、直接の税や予算がこれにあたる。ここでEUにできるのは、口をそえること、足並みをそろえる手助けをすることまでである。二つ目とは違い、国の頭越しに決めることはできない。決めるには、加盟国がそろって賛成するしかない。裏を返せば、一国でも反対すれば、それで止まる。

この形が今の姿になったのは、古い話ではない。1993年に発効したマーストリヒト条約で、それまでの経済の共同体が、政治まで踏み込む「連合」に生まれ変わった。2009年のリスボン条約で、その運営のルールがほぼ固まった。つまり、EUという機関は、まず器として作られた。中身の「一つの国民」は、後からついてくるはずだった。

ここに、第一の「ねじれ」がある。ふつう、国があってから制度ができる。EUは、その順序が逆なのだ。

国民なき民主主義

この「ねじれ」を、いちばん鋭く言葉にしたのが、ドイツの憲法学者ディーター・グリムだった。1995年、彼は「欧州に憲法は必要か」という論文を書いた。欧州には、国境を越えて共有される言葉がない。共通の新聞もテレビもない。人々が同じ話題で議論する場がない。だから、いくら立派な制度を作っても、それを支える「みんなの意思」が生まれてこない。ドイツの憲法裁判所も、同じころ、EUには「一つの国民」が存在しない、と述べている。

民主主義とは、突き詰めれば、負けた側が「それでも『自分たち』が決めたことだ」と呑み込む仕組みである。この『自分たち』がなければ、多数決はただの他人による支配になってしまう。ギリシャの昔の言葉で、この「自分たち」を「デモス」と呼ぶ。デモスなきところに、民主主義は根を張らない。EUの選挙がいつも各国の国内政治の話に化けてしまうのは、この一点に理由がある。

一方で、反論もある。ドイツの哲学者ハーバーマスは、こう考えた。たしかに、はじめから欧州の国民などいない。だが、国民は血や言葉で決まるものではない。同じ憲法の理念を大事にする、その一点で『自分たち』を作り直せるはずだ、と。彼にとって、デモスは前提ではなく、これから育てる目標だった。先ほど筆者は「順序が逆だ」と書いた。ハーバーマスからすれば、それは逆ではなく、正しい順番なのである。

どちらに理があるか。筆者は、グリムのほうに合点がいく。そして、その直観をもう一段深いところで裏づけてくれるのが、エマニュエル・トッドの研究だ。トッドは、人々の政治のかたちが、その土地の家族のかたちに深く根ざしていると見る。財産を子で等しく分ける家族と、長男が継ぐ家族とでは、平等や権威についての肌感覚が違う。この深い層は、ブリュッセルの号令ひとつで平準化できるものではない。上の層で言葉が通じないだけでなく、下の層で土が違う。二重の意味で、溶け合うはずがない。「機関を作ってから、国民を作ろうとした」。EUの無理を一言で言えば、こうなる。

価値を上から決める

この「デモスの不在」は、抽象的な話に聞こえるかもしれない。だが、街角では、たちまち生々しくなる。移民の問題である。

イスラム圏からの移民は、以前から欧州にいた。問題は、近年その数が一気に増えたことだ。数がある線を越えると、受け入れる側の社会が移民を同化のために使える時間が足りなくなる。溶け合う前に、別の社会が同化しないまま固まってしまう。ここでもトッドの視点を借りることができる。家族のかたちが大きく違う集団が、短い間に大量に入ってくれば、摩擦が起きるのは自然なことだ。ただし、トッド自身は、フランスの社会は世代を重ねれば移民を同化し、溶かしていく、という側に立ってきた人だ。彼を「異質な者が増えれば社会は壊れる」の証人に使うのは、彼の本意ではないだろう。借りるのは、摩擦がなぜ起きるかという仕組みにおいてのみだ。

問題の核心は、移民そのものの善し悪しではない。「誰を『自分たち』に加えるか」という、共同体の最上位の決定を、EUが各国の手から取り上げてしまった、という点にある。国境の検問をなくすシェンゲンの取り決め、難民をどこで審査するかを縛るルール、受け入れの割り当て。国内の多数が「もう受け入れたくない」と思っても、EUの法が壁になって拒めない。ここが右派の怒りの震源だ。

しかも、EUは逆の方向からも、価値を上から定めようとする。たとえば性的少数者の権利である。2021年、ハンガリーは、そうした話題を子どもから遠ざける法律を作った。これに対しEUの裁判所は、2026年4月、「EUの法に反する」と判断を下した。さらにその前段では、EUが掲げる基本的な価値そのものへの侵害だ、というところまで踏み込んでいる。

ここで面白いのは、同じ判決が正反対に読めることだ。右派は言う。これは各国の伝統や文化への侵犯であり、一つの価値観の押しつけだ、と。EUを擁護する側は言う。人の権利とは、多数決でも覆せないからこそ意味がある。少数の人を多数の気分から守る、最後の一線なのだ、と。どちらの言い分にも、一定の筋は通っている。だが、両者が噛み合わないのは、そもそも「欧州の価値」を一つに決める資格が誰にあるのか、という問いに答えがないからだ。デモスがいなければ、その資格の出どころもない。

こうして、EUは二つの価値を同時に、しかも上からおろしている。片方で、イスラム圏という伝統的な価値観の強い大きな集団を招き入れ、もう片方で、進んだ権利の基準を課す。この二つは、各国の多数派とぶつかるだけでなく、互いにもぶつかる。同じ街の中に、二つの押しつけが並んで置かれる。きしまないほうがおかしい。

線形の機械、非線形の世界

EUには、もう一つ、根の深い無理がある。それは、物事をばらばらに、一本ずつ扱う考え方だ。

EUの統合は、もともと賢いやり方で進んできた。政治という厄介ごとを避けて、まず摩擦の少ない経済から手をつける。通貨は通貨、環境は環境、農業は農業と、分野ごとに専門家が別々に最適を積み上げていく。政治のまとまりは、後から自然についてくるだろう——そう考えた。平時には、これでうまくいく。それぞれの窓口が、自分の理屈で静かに回っていればよいからだ。

ところが、外の環境が荒れると、話が変わる。ばらばらだったはずの物事が、一斉につながり始める。冬にガスが足りなくなれば、脱炭素の目標とエネルギーの確保がぶつかる。戦争で防衛にカネがいるようになれば、財政赤字を抑えるルールと国防費の増額がぶつかる。難民が押し寄せれば、人の自由な移動と国境の管理がぶつかる。ウクライナを新たに仲間に入れようとすれば、その分の予算と、これまでの農業への補助がぶつかる。平時には別々の机の上にあった書類が、危機になると一つの机の上で重なり合う。

ここで、EUの弱さが見事に表面化する。分野をまたいで、「今年は環境をあきらめてエネルギーを取る」と決める。そういう、誰かに痛みを負わせる横断の判断は、一つの政治の中心にしかできない。国であれば、その中心は政府であり、その背後には国民がいる。EUには、その中心がない。だから、つながり合う世界を前にしても、なお分野ごと、ルールごとの対応しかできない。一本ずつ動く機械が、すべてが絡み合う現実に立ち向かっている。

ウクライナ戦争は、この弱さがそのまま出た場面だった。2026年3月、ハンガリーのオルバンは、いったん合意したはずのウクライナ向け支援——900億ユーロ規模——に突然ストップをかけた。表向きの理由は、自国に石油を運ぶパイプラインをめぐる争いである。全会一致という仕組みのもとでは、一国が首を横に振るだけで、全体が止まる。外に共通の敵が現れれば結束が強まるはずが、実際には「その敵にどう向き合うか」で足並みが乱れた。線形処理の機械は、非線形の危機を、うまくさばけない。

折れそうな二本の松葉杖

そもそもEUは、自分の足で立っていたのだろうか。筆者は、二本の松葉杖に支えられていた、と見る。

一本目は、外の敵だ。冷戦のあいだ、東にソ連という共通の脅威があった。この「向こう側」の存在が、EU自身には作れなかった『自分たち』を代わりに作ってくれていた。敵がいれば、味方はまとまる。だが、これは借り物の結束である。敵が消えれば、結束は緩むし、敵の見立てが割れれば、結束は裂ける。今のEUがまさにそうで、ロシアをどれだけ恐れるかは、国によってばらばらだ。

二本目の松葉杖は、豊かさと、時代の追い風だ。冷戦が終わったあと、世界はしばらくアメリカ一強の、平和で豊かな時代を過ごした。その中でEUは、単独では相手にされない中くらいの国々が束になり、規制の力で世界を動かす、という賢い生き方を見つけた。市場の大きさを盾に、環境やデータのルールを世界に広げる。軍を持たずとも、大国間のやり取りに一枚かむことができた。だが、これも条件つきの強さだ。世界が、そうした穏やかな力を評価してくれる間しか、通用しない。

そして今、二本の松葉杖が同時に細くなっている。世界は再び、剥き出しの力がものを言う時代に戻りつつある。関税、エネルギー、軍事。そこでは、規制の力の「一枚かむ」分が、みるみる痩せていく。

さらに、決定的なことが起きた。長らく欧州を外から束ねてきたアメリカが、矛先の向きを変えたのだ。2025年11月の国家安全保障戦略で、アメリカはEUを、守るべき仲間としてではなく、正すべき相手として記述した。それによれば、EUのような組織が「政治の自由と主権を損なっている」。また、このままなら欧州は「20年かそこらで見分けのつかない大陸になる」。そして、欧州各国の中に「今の流れへの抵抗を育てる」ことを、自国の方針として掲げた。ブリュッセルの側にではなく、主権を取り戻そうとする各国の右派の側に立つ、とはっきり書いたのである。

かつて、外の脅威が欧州の『自分たち』を作っていた。今度は、外の後ろ盾が、欧州の『自分たち』を割るほうへ回った。諸国内では右派がEUを内側から骨抜きにしようとし、外ではアメリカがそれを後押しする。デモスという空白は、内と外から、同時に押し広げられている。

アメリカという鏡

ここで、改めてアメリカを正面から見てみたい。EUの姿は、この鏡に映すと、いっそうくっきりする。アメリカもまた、多くの州が集まった連邦である。似ているようで、成り立ちが根本から違う。

第一に、順序だ。アメリカは、まず一つの国民ができ、そのうえに制度が乗った。英語という共通の言葉があり、移民を溶かし込む坩堝があり、独立という共通の物語があった。EUは、その逆で、制度が先にでき、国民は今も来ていない。

第二に、決着のつけ方である。アメリカも、「州が上か、連邦が上か」という、EUと同じ問いを抱えていた。そして、その問いを、19世紀の南北戦争という、多くの血を流す戦いを通して、力ずくで片づけた。以来、連邦の法が州の法より上に立つ、という原則が動かなくなった。EUには、この問いを力で決める仕組みも、その気もない。

第三に、カネだ。アメリカは早い時期に、建国の父の一人ハミルトンが、各州の借金を連邦がまとめて引き受ける仕組みを作った。1790年のことだ。これで連邦は、自前の財布を持った。一方EUは、通貨だけを一つにして、財布は一つにしなかった。豊かな北が、南の借金を肩代わりさせられている——AfDのような勢力の不満は、この不公平の裏返しでもある。

「アメリカはまっさらな土地に一つの国民を作れたから、うまくいった」。それは本当だ。しかし、そもそも国民国家というものが、もともと自然にあったのかと言えば、そうではない。かつての歴史家が示したように、例えば「フランス人」もまた、ある意味で人工的に作られたものだった。学校や鉄道や徴兵を通じて、ばらばらの田舎の人々が、100年ほどかけて「フランス人」に育てられた。とすれば、EUを擁護する側はこう言い返せる。フランスにできて、なぜ欧州にできないのか。我々はまだ、その途中にいるだけだ、と。

この意外な反論は有効だ。だが、フランスには、国民を作るための強い道具があった。一つの国家、一つの言葉を広げる意思、そして20世紀の二つの総力戦。EUには、そのどれもない。使う気もない。強い力で押し込まずして、人工の国民は生まれない。EUの穏やかさは美点だが、まさにその美点ゆえに、国民を作れないのである。

まとめ 歴史の終わりの、その先で

冷戦が終わったころ、フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』を書いた。1992年のことだ。自由と民主主義が最後に勝ち、これを超える争いはもう起きない、という見立てである。国どうしが主権を持ち寄り、平和な共同体を作る。EUこそ、その考えを制度にした、まさに化身だった。

そのEUが、たどった道を振り返ってみる。はじめは経済を一つにするところから始まった。やがて、価値や理念まで一つにしようとした。そして、その理念を各国に押しつけるところまで進んだ。移民の政策が、その典型である。こうしてEUは、自分の論理をどこまでも推し進めた末に、自らの手で、自らの身にひびを入れている。皮肉なことに、その同じ問題に一足早く気づいたらしいアメリカからは、「文明の消滅」とまで名指しされた。かつての理念の本家からの、冷たい一言である。

ここから、二つのことを思う。一つ。人間は、市場で値段の動きだけを見て動く、そんな単純な生き物ではない。だから、経済を一つにすれば心も一つになる、という考えは、どこかで壁に当たる。安さや便利さだけでは、人は『自分たち』にならない。

もう一つ。今の現実から遠く離れた理念を、上から押しつけようとすると、人はかえって落ち着きを失う。長い時間をかけて身につけた、暮らしの勘のようなものが鈍る。足元が揺らぐ感じがして、不安になる。今の欧州に広がっているのは、この種の不安ではないか。

国とは何か。人とは何か。EUという壮大な実験のきしみは、そこまで深いところを、われわれに考えさせる。答えはまだ出ていない。EUがこの先、力の弱い「国どうしのゆるい集まり」へと後戻りするのか、それとも危機を梃子にして、財布まで一つにする本物の連邦へと踏み出すのか。それは、まだ誰にもわからない。

わからないが、一つだけ言えることがある。理念は、人の暮らしより先を歩きすぎてはいけない。半歩先を照らすなら灯になるが、二歩も三歩も先へ行けば、人はその光を見失う。EUは今、その距離を測り直す岐路に立っている。

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