自分の署名を拒んだ大統領——関税のTACOと戦争のTACO

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2026年6月17日、ヴェルサイユ宮殿。トランプ大統領は夕食会の席で、イランとの覚書に署名した[1]。同じ日の記者会見では、求めたものはすべて達成した、と胸を張った[2]。

9月26日、イランが提案を出した。6月の覚書とほぼ同じ内容だ。トランプ氏は「受け入れられない」と退けた[3]。

自分の署名を、自分で拒んだことになる。この3か月あまりに何があったのか。そして筆者は、何を読み違えたのか。それを書いておきたい。

「取引の人」という読み

2024年の暮れ、筆者はトランプ再選に期待を寄せた(2024年12月17日付記事)。関税は交渉の武器であり、中東は「強さによる抑止」で温度が下がる、と書いた。威圧は取引のための道具だ。そう読んでいた。

翌年6月には、この米政権は「周到に考えられた反革命」を進めていると評し、イランへの爆撃は回避するだろうと予想した(2025年6月3日付記事)。

外れた。19日後、米軍はイランの核施設を爆撃した。

当たった予想もある。爆撃の直前、筆者は「イランは弱い」という論調を戦争プロパガンダと呼んだ。米国が参戦すれば、中東の米軍基地への報復は必至であり、「決着がつかない長い戦い」になると書いた(2025年6月20日付記事)。

その通りになった。2026年2月28日に始まった戦争は、7か月を過ぎた今も終わっていない。イランは初日から湾岸の米軍基地を撃った。標的の一つが、バーレーンの第5艦隊司令部だ。海軍長官代行は9月、イランはバーレーンを「徹底的に吹き飛ばした」と認め、基地に戻るかどうかは検討中だと語った[4]。海軍は8月、要員と家族は当面戻れないと通知している[5]。国防総省は被害の全容を公表していない。

ただ、この当たりには続きがある。2025年6月の空爆を、筆者は「カブキ」と呼んで片づけた(2025年6月24日付記事)。芝居は一幕で終わると思ったのだ。本物の戦争は8か月後に来た。

イランは読めていた。読めなかったのは、トランプだ。

関税なら、戻せる

TACOという言葉がある。Trump Always Chickens Out。トランプはいつも最後に引く、という市場の皮肉だ。

関税で引くのは、害が少ない。税率は下げれば元に戻る。相手は何も失っておらず、市場はむしろ歓迎する。引くことに、ほとんど代償がない。

戦争は違う。撃った事実は消えない。死者は戻らず、相手は譲る理由を失う。そして引いた瞬間、相手も周囲の国も「ここまでしかやれない」と学ぶ。抑止力とは蓄えであって、使い方を誤るたびに減っていく。

蓄えは実際に減った。湾岸の基地は、イランのミサイルが届く場所にあると知れ渡った。米軍はクウェートなどで、資産を守るのではなく引き揚げた[6]。長官代行によれば、空母の乗組員には寄港する場所がなかった。威嚇の言葉は勇ましいままだが、それを支える足場は細っている。

湾岸諸国の反応も、計算に入っていなかったはずだ。開戦は事前に知らされず、安全への配慮もなかった[7]。イランの報復は空港や産業施設にも及び、湾岸の怒りはまずイランに向いた。UAEは断交している[8]。だが同時に、米国は守り手として頼れるのか、という疑いも広がった[9]。頼りながら、信じきれない。この宙づりは、米国が次の一手を打つたびに足かせになる。

筆者が読めなかったのは、ここだ。関税の流儀を、軍艦とミサイルを動かす場面にそのまま持ち込むとは思わなかった。トランプ本人は、その違いを気にしている様子を見せることはない。

取引と威嚇の間の往復を繰り返した記録

今年の日付を並べる。

3月6日、無条件降伏以外に取引はない、と投稿した[10]。同じ月の下旬には、取引をしたい、と言い始めた[11]。4月、協議が決裂すると海上封鎖に踏み切った。6月11日、予定していた攻撃を取りやめ、合意は近いと語った。翌12日には、イランを「不名誉な連中」と呼んだ[12]。14日に合意を発表し、17日に署名した。

署名の4日後、スイスで実務協議が始まったその日に、海峡を閉じるなら「国がなくなる」と威嚇した[13]。7月8日、覚書は「終わった」と宣言し、イランを「邪悪で病んだ連中」と呼んだ[14]。2日後には、停戦は終わったが協議は続ける、と投稿した[15]。9月1日、合意に価値はないと言い、大規模な攻撃を命じた[16]。そして9月26日である。その数日後、米当局者が譲歩の用意を認めると、本人は「何も提示していない」と打ち消した[17]。

取引と威嚇の間を、数えられるだけで8回、行き来している。

公平のために書いておく。覚書が崩れた直接の引き金は、合意の当事者でないイスラエルがレバノン攻撃を続けたことだ。イランはこれを理由に海峡を再び閉じ、船舶も攻撃した。覚書違反は双方が主張している。

大国が軍事で引いた例は、歴史に少なくない。1962年、ソ連はキューバからミサイルを引き揚げた。1984年、レーガンはベイルートから海兵隊を撤収した。だが、どちらも引いたのは一度きりで、体面を保つ形を整え、そこで終わっている。威嚇と後退を毎週のように繰り返し、そのつど勝利を宣言した例を、筆者は知らない。

言葉がシグナルでなくなる

覚書の第1項は、互いに武力による威嚇を控えると定めている[18]。署名した本人が、4日で破った。

平時の放言なら、雑音で済む。筆者も昨年までは、そう聞き流していた。だが戦時の大統領の言葉は、交渉そのものだ。毎週反対のことを言う相手とは、合意の中身を確定できない。侮辱は、相手が国内で譲歩を説明する余地を奪う。

署名に意味がないなら、次の署名にも意味はない。イランにとっても、仲介国にとっても、同盟国にとってもそうだ。

物差しは変えていない

なぜここまで往復するのか。支持者に向けた見栄なのか、本当に違いが分かっていないのか。筆者には分からない。

筆者に分かるのは、自分の物差しが変わっていないことだ。物差しとは、他国への軍事介入をやめ、米国の国益で動く大統領かどうか、である。2024年にはそれで測ってトランプ氏に期待し、今は同じように測ってトランプ氏を見限っている。再工業化など国内の政策をどう評価するかは、別の機会に書く。

ヴェルサイユは、1919年に講和条約が結ばれた場所である。その20年後に何が起きたかは、以前書いた(2026年4月17日付記事)。107年後の署名は、20年どころか、3週間もたなかった。

主な出典

[1] ロイター、2026年6月17日 Iran MOU Was Signed on Wednesday by Trump and Iran President

[2] CBSニュース、6月17日 Trump touts Iran agreement to wrap up G7 summit in France

[3] NPR、9月26日 Trump calls Iranian plan to reopen Strait of Hormuz not ‘acceptable’

[4] エポック・タイムズ、9月 Navy Evaluating Future at Key Middle East Base Following Iran War Damage(原文:They blew the hell out of Bahrain)

[5] スターズ・アンド・ストライプス、8月21日 Navy families evacuated from Bahrain face ‘uncharted territory’

[6] ミドル・イースト・アイ、6月 ‘Vulnerability exposed’: War on Iran will change how the US bases troops in Gulf

[7] カーネギー国際平和財団、4月 Three Scenarios for the Gulf States After the Iran War

[8] 湾岸アラブ諸国研究所、4月 The United States Plus: Gulf States Contemplate Regional Security After Iran War

[9] フォーリン・ポリシー、9月25日 Gulf States Are Hedging and Suffering

[10] ブルームバーグ、3月6日 Trump Wants ‘Unconditional Surrender,’ Wont Seek Iran Deal

[11] CNN、3月25日 Epic flurry: How Trump has shifted his stances on Iran repeatedly

[12] CNBC、6月12日 Trump denies Iran’s account of deal terms(原文:Dishonorable people)

[13] ロイター、6月21日 Trump Threatens Iran With Fresh Strikes as Vance Leads Peace Talks in Switzerland(原文:you won’t have a country)

[14] CNN、8月5日(経過のまとめ) Trump says Hormuz reopening ‘soon’(原文:evil, sick people)

[15] アルジャジーラ、7月10日 Trump hints at further Iran negotiations after exchange of fire over Hormuz

[16] イラン・インターナショナル、9月1日 Trump dismisses Iran deal after Tehran pushes return to Islamabad memorandum

[17] エルサレム・ポスト、9月末 Trump denies offering Iran sanctions relief(原文:I offered them NOTHING!)

[18] アルジャジーラ、8月16日 US-Iran MoU ends: What happens next?

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