アメリカの幻影と戦後日本の幼児性――西進の歴史から福田恆存まで

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19世紀アメリカの西進は、いつでも都合の良い言葉に彩られていた。

マニフェスト・デスティニー(明白な天命)。神が与えた開拓の使命という身勝手なスローガン。1845年にジャーナリストのオサリヴァンが放ったこの言葉は、北米大陸の侵略と収奪を一瞬で聖なるものへと昇華させた。自由と民主主義の拡散という大義名分。その裏で、元来の主である先住民たちは「無主地」の概念によって土地を追われ、強制移住の過酷さにたおれていった。白人入植者に土地を無償提供した1862年のホームステッド法も、この天命を現実化するための国家による巧妙な人口増大政策にほかならない。

同時代、ヨーロッパ列強はアフリカでパイの奪い合いを演じていた。「白人の責務」という、これまた傲慢な言い訳。アメリカの西進は、本国と地続きの領土をそのまま同化させた点において、海を渡った欧州の植民地支配とは異なる特殊性をもつ。だが、現地人を労働力として搾取した欧州に対し、先住民を完全に排除して住民そのものを置き換えたアメリカの定住型植民は、現代では想像すらできないほど徹底的だった。1890年、国内の開拓完了(フロンティアの消滅)と同じ時期に、欧州の分捕り合戦も終焉を迎える。

この冷酷な膨張を、鎖国下の日本は、ほぼリアルタイムで観察していた。水戸学の会沢正志斎や、長州の吉田松陰。彼らが魏源の『海国図志』から読み取ったのは、文明の美名の裏にある弱肉強食のリアリズムだった。西郷隆盛や大久保利通ら薩摩の英傑も、ジョン万次郎から西進の生々しい実態を聞かされていた。彼らにとって先住民の悲劇は「明日の我が身」。この強烈な生存への危機感こそが、明治維新における富国強兵の最大のエンジンとなった。奪う側に回らねば、奪われる。彼らが導き出した結論は冷徹だった。

戦後、この「影の歴史」は教科書では薄められ、アメリカはクリーンな民主主義の国として語られるようになる。戦前の「鬼畜米英」という悪魔化の反動とはいえ、この極端な振り子の振れ幅にはいささか納得がいかない。この欺瞞を早くから見抜いていたのが、批評家の福田恆存である。福田は18歳のときに満州事変、29歳で真珠湾攻撃を迎えた戦前教育の世代。彼は戦後の甘ったれた日米関係とアメリカ文明の本質を、鋭く批評した。

「アメリカ文明の本質は、楽天主義(楽観主義)という病である。彼らはすべての問題は技術や制度で解決可能だと信じ、自らの過去の罪を宗教的な免罪符で洗い流しては、次の『正義』を他国に押し付ける」

福田が1976年に著した『アメリカの幻影』(文藝春秋)の底流にあるのは、こうした独善的な覇権主義への透徹した視線。あるいは『平和の理念』(1953年)で示された、言葉の神格化に対する冷ややかな批評。福田のすごさは、アメリカを全否定するのではなく、その合理的精神に敬意を払いながらも、その懐にただ甘え、うっとりしている戦後日本の言論人たちの「幼児性」をこそ射抜いた点にある。

歴史は地続き。かつて西部の平原を覆ったフェンスは、形を変えて現代の安全保障の枠組みへとつながっている。言葉の美しさに惑わされず、その内実にある剥き出しの国益を凝視すること。斜に構えた福田の眼鏡は、いまの私たちにもまだ十分に使い物になる。

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