9月24日、ホワイトハウスの晩さん会。トランプ大統領と習近平主席は、米中が第2次大戦を共に戦ったことを称え合った。翌日のファクトシートには、両国は大戦の同盟国であり、勝利のために肩を並べて戦った、と明記された。
台湾はすぐに反発した。米国と共に戦ったのは中華民国であって、中華人民共和国ではない。台湾で対中政策を担う大陸委員会の副主任委員は、習氏が大戦の歴史認識を中華人民共和国主導のものへ導こうとしている、と述べた。
日本は反発しなかった。高市首相は「第三国間のやりとりに逐一コメントすることはない」とし、日米は戦争を経て和解した、と付け加えただけだ。
文字通りに読めば、ファクトシートは誤りではない。「China」は確かに連合国の一員だった。問題は、その「China」が誰だったのかを曖昧にしたまま、中国共産党政権と並んで読み上げたことにある。
一週間で行われた歴史の再演
日付を並べると、面白いことに気づく。
9月22日、高市首相は国連総会で、国連憲章の旧敵国条項の早期削除を求めた。翌23日、中国外務省は、同条項は今も重要な現実的意義を持つと反論した。24日、ワシントンで米中の「同盟」が語られ、習氏は日本軍国主義との共闘に触れた。26日には、ロシアのラブロフ外相が国連総会で、日独は軍国主義の道を歩んでいると述べた。
以前、「軍国主義」という言葉の来歴を書いた(「スターリンが書き、習近平が読み続ける『軍国主義』という古い台本」)。台本を書いたのはスターリンとコミンテルンだ。米英はそれに乗り、戦後のGHQがその台本で日本人の自己認識を塗り替えた(「終戦の日 『滅びるね』と、失われた日本の記憶」)。ポツダム宣言の81年後、わずか一週間のうちに、中国、米国、ロシアが、またその古い台本を順に読み上げた。
米国の立ち位置は相変わらず一貫しない。昨年、米国在台協会(事実上の在台米大使館)は、中国がカイロ宣言やポツダム宣言を意図的に歪めていると非難し、どの文書も台湾の最終的な地位を決めていない、と明言していた。その1年後、ホワイトハウスは「米中は大戦の同盟国」と公式文書に書き込んだ。大戦を戦った中国とは今の中国であり、ゆえに台湾は自分たちのものだ——中国共産党政権の歴史物語は、この一行から始まる。その最初の一行に米国自身が判を押した。米国の中でも、台本は一つではない。
台湾の地位を巡る二つの系譜
この物語が日本と無関係でないのは、台湾の法的地位と日本の立場が、戦時の文書でつながっているからだ。台湾の帰属をめぐる文書には、二つの系譜がある。
一つは宣言の系譜だ。1943年のカイロ宣言は、台湾を「中華民国」に返還するとうたった。1945年のポツダム宣言第8項はカイロ宣言を引き継ぎ、日本は降伏文書で受け入れた。中国共産党政権が根拠にするのは、この系譜である。もっとも、米国や台湾は、宣言とは連合国の意思表明にすぎず、条約ではないと読む。
もう一つは条約の系譜だ。1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は台湾を放棄した。だが、放棄した先は書かれていない。講和会議には、中華民国も中華人民共和国も招かれなかった。どちらの政府が中国を代表するのか、米英の間で意見が割れたからだ。その前年、朝鮮戦争の勃発を受けて、トルーマン大統領は、台湾の地位の決定は対日講和か国連の検討を待つべきだと述べている。地位未定論の出発点だ。
日本は、二つの系譜の両方に名を連ねている。そして、1972年の日中共同声明では、台湾は中国の一部だとする中国の立場を「十分理解し、尊重し」、ポツダム宣言第8項に基づく立場を「堅持する」としたが、承認はしていない。一方、日本政府の公式見解は今も、サンフランシスコ条約で放棄した以上、台湾の地位を独自に認定する立場にない、とする。
曖昧である。だがその曖昧さこそ、日本が半世紀以上かけて守ってきた資産だと筆者は考える。二つの系譜の、どちらを本流と見るか。「大戦の同盟国は誰だったか」と同じ問いだ。同盟国は今の中国だったという物語が定着すれば、宣言の系譜が本流となり、条約の系譜は傍流に追いやられる。中国は昨年、サンフランシスコ条約を「違法かつ無効」と改めて言い切った。本流を一本にしたいのだ。
もっとも、台湾もこの台本を都合よく使っている。野党・国民党は、頼政権が中国と物語を争うときだけ1945年の中華民国を持ち出す、と皮肉った。台本は、誰の手にあっても道具になってしまう。
日本は争うほど、台本の役を演じることになる
では日本は、台本の書き換えに正面から異を唱えるべきか。筆者はそうは思わない。台本は、勝者や大国が勝手に書き換えるものだ。日本がそこで争っても勝ち目は薄い。それどころか、争うほど台本の中の汚れ役を演じることになる。
昨年11月、高市首相は国会で、台湾有事は存立危機事態になりうると答弁した。失言だったと筆者は考える。曖昧さが守っていたものを、自ら言葉にしてしまったからだ。中国の反応は早かった。在日中国大使館は旧敵国条項を持ち出し、安保理の許可なく日本に軍事行動を取る権利がある、と投稿した。年明けの1月6日には、軍民両用品の対日輸出規制を発表した。対象にはレアアースも含まれる。相手の台本に「軍国主義の復活」というセリフをこちらから書き込んだ格好だ。
台本には、もう一つの役も用意されている。
9月28日、北京。王毅氏は東京裁判の開廷から80年だと述べ、「良知ある政治家」として河野洋平氏の名を挙げた。その後継として日本国際貿易促進協会を率いる岩屋毅前外相は、中国側の発表によれば、遺志を継ぐと応じた。会談の中身を最初に世界へ伝えたのは、中国外務省の発表と握手の写真だった。岩屋氏が記者会見で語ったのはその翌日だ。なんと、岩屋氏は、北京の地から日本政府に対して「原点に戻る努力」を求めた。
台本は、先に書いた者のものになる。相手に「軍国主義」のセリフを与えた首相と、良識派の役を引き受けた前外相。正反対に見えて、二人は同じ台本の上に立っている。どちらも国益にはならない。
急所は静かに握るものだ
では何をするのか。答えは台本の外にある。相手が欲しいものを握り続けることだ(「21世紀の『盾』と『急所』――アジア版NATOの虚像を超えて」)。
半導体の最上流には、日本の独壇場がいくつもある。最先端の回路を焼き付ける感光材は、日本勢が9割超を握る。回路の原版となるガラス基板も、AIチップを載せる基板の絶縁フィルムも、ほぼ日本製だ。感光材を塗る装置、原版の欠陥を見つける検査装置も同じ構図にある。どれか一つ欠けても、最先端の半導体は作れない。調味料の味の素が、AIチップの急所を握っている国なのだ。面白いと思う。
中国もこれを承知している。昨年11月、日本がフォトレジストの対中輸出を止めた、という噂が中国のSNSを駆け巡った。日本政府も企業も何も発表していない。未確認の噂にすぎない。それでも中国の業界は震えた。フォトレジストは使用期限が短く、備蓄が利かないからだ。
急所は、声に出さずに握っているときに一番効く。ただし、握った急所も、放っておけばやがて効き目が薄れる。中国の製造装置国産化は、洗浄や剥離といった入り口の工程から進んでいる。一方で、感光材を塗る装置の国産化率は約1割、露光装置は5%に満たない。日本の急所は、中国が容易に登ってこられない最上段にある。だから、その最上段を静かに更新し続ける。日本の素材各社は、次世代の感光材への投資をすでに進めている。これは産業政策というより、安全保障そのものだ。
台本の外に立つ
8月に、日本で失われた記憶について書いた(「終戦の日 『滅びるね』と、失われた日本の記憶」)。自分の歴史を自分の言葉で理解することは、今も必要だと思う。ただしそれは、アピールのためではない。自分の来歴を知っている者は、他人の台本に動揺しない。動揺しなければ、争う必要もない。
外では台本を争わない。内では記憶を取り戻す。そして手には、急所を握る。 米中首脳は11月に深圳で、12月にはマイアミで、また顔を合わせる。古い台本の上演は続くだろう。日本は客席からそれを眺め、黙って次の急所に投資していればよい。したたかさとは、たぶんそういうことだ。
